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西武多摩湖線この一年の動向 [大手民鉄]

画像は八国山を背景に走る多摩湖線の列車で4扉車(9000系)。同線へは昨年から今年にかけて同型が3編成配属された。4扉車に統一後、国分寺駅にホームドアが設置されるそうだ。
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さて従来の3扉車(N101系)は同時期に2編成が廃車され、1262(伊豆箱根塗装)が西武ドーム近くで静態保存された。同系はこれで残り8編成となった。戦後75年に亘り続いてきた伝統の3扉車の残党も数を減らし終焉の時が迫っているようで最後は離れ小島の多摩川線に集結することになるのだろう。あの額縁鉄仮面はどうも好きになれないが・・・

思えば多摩湖線は多摩湖鉄道として開業当初から中古車、京王の単車や西武軌道(後の都電杉並線15系統)の木造車を導入し、以来現在に至るまで新宿線からの直通を除いて新車が入ったことは一度もないという全く日の当たらない路線で、今後も余程のことがない限り現役末期の老朽車があてがわれるものと推察される。

タグ:多摩湖 西武
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鉄道代行バスとキツネ、廃墟そして・・・ [旅行]

時は1980年代中頃、国鉄ローカル線廃止の嵐が吹き荒れた時代。そんなある年の10月、北海道へ渡った。勿論廃止予定線を乗り潰すのが目的でこの時は廃止間近の白糠線が主目的だった。他にも多数の線区を巡ったが、その中の一つ士幌線(帯広-十勝三股間、1987年3月廃止)へ行った時の事。

帯広から朝一番の士幌線列車に乗る。途中糠平から先は既に休止中で代行バスに揺られる。それは小型のマイクロバスで、乗客は大阪の会社員のオッサン、奈良の学生、それと僕の3人だった。全員が乗り鉄!周遊券の客。

後に知った事だが当時十勝三股の居住世帯は1戸で、そのためのバスだとの事。その唯一の住人がこのバス運転手の家族だというから驚いた。道理で物見遊山の客しかいない筈だ。

糠平湖を後にバスは山道を走る。暫く走った所で急停車。ふと見ると道端にキタキツネが一匹。眼光鋭く体は薄汚れ痩せ細っていたが、そこに本物の野生を見た。刹那運転手が餌の入った袋を投げる。キツネはそれを咥えると一目散に林の中へと消えた。ほんの瞬時の出来事だった。
運転手氏の話によると、件のキツネはこのバスが通ると姿を見せ、他のクルマの時には現れないという。

廃墟と化した途中駅に寄りながら終点を目指す。終点の十勝三股も既に廃墟で半ば自然に同化し、朽ちかけた給水塔が錆びた躯体を晒していた。その奥に見えた雪を頂く裏大雪の山々が妙に清々しかった。

この話には後日談がある。

その翌年、今度は福岡県の甘木線(基山-甘木間、現甘木鉄道【第三セクター】)へ行った時に車内で見覚えのある顔に出会った。それがなんと士幌線代行バスに乗り合わせた奈良の学生だった。こちらから声を掛けたが彼は怪訝な顔をするが暫くすると思い出してくれた。

日本の北端と南端で偶然出会うとは何とも奇遇ではある。
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渋谷の宮下公園 [探索]

渋谷川の暗渠上に作られたウナギの寝床のような公園で、ホームレスが屯し夜などほとんど人通りがなく、あまり近づきたくない場所だった。ハッキリ言って公園とは名ばかりの小汚いスペースだった。

ところがどうだろう。渋谷駅周辺の再開発で高級ブランド店などが入る建物が出来その屋上が公園になった。一応、区の管理する公園という名目らしいが、その実態はショッピングモールだ。

渋谷駅周辺は渋谷川と宇田川の合流地点にあり、地下鉄の上を渋谷川が流れていて一部地下道の天井が低くなっている。センター街は宇田川の暗渠なのでいつもドブ臭く、あまり環境の良い場所とは言えないが東急の力で若者の街に変身した。その勢いが駅の端の公園にまで及んだという事か。

東横線が地下に潜っても駅南側の渋谷川が流れている場所は今でもスラムの雰囲気が漂う。このところの再開発で変貌を遂げる渋谷だが永久にドブの臭いが消えることはあるまい。
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観光地 [旅行]

どの地方へ行っても観光地は総じて同じで面白くない。土産物屋や原宿まがいの洒落た造りの店が軒を連ね、画一的な歓楽街と化しているのだ。なので基本的にそうした所へは行かない。

ある時、乗り潰し旅の途中の稚内で時間が空いたので試しに「定期観光バス」なるものに乗ってみたことがある。2時間くらいかけて一通りの有名スポットを巡る。そのひとつに水族館があって、バス車内でオプションの入場券を売る。

ところがそこでの滞在時間は15分だと言うではないか。たったこれだけの時間で何処をどう見ろというのか。全く人を馬鹿にしている。当然スルー。このあたり欧州を東から西まで二泊四日!で駆け巡るようなパック旅行と共通点があるように思う。

これでは何処に何があるのかを只確認するに過ぎないではないか。観光とはこんなに慌ただしいものなのか。以来この手のバスには一切乗らないことにしたし、観光地に足を向ける気もなくなった。
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鈍行列車の楽しみ [旅行]

乗り潰しの旅では普通列車にばかり乗るが面白いことも多々ある。まだ青函トンネル開通以前、北海道の江差線(木古内-松前間50.8km、1988/2/1廃止)に乗った時のこと。

あれは渡島吉岡付近だっただろうか。車窓をぼんやりと眺めていると知らないおっさんが声をかけてきた。余所者がカメラ下げて独りでローカル線に乗っていれば場違いで浮いて見えるから明らかに乗り鉄旅と判る。

「兄ちゃん、あれが青函トンネルを掘った土だよ」

と指差して教えてくれた。そこは山の中だったが線路から少し離れた場所にかなり大きなズリ山があった。長いトンネルを掘ればそれなりの分量の土が出る。多分言われなければ気付かなかっただろう。おかげで良い事を知った。

吉岡にはトンネル工事の基地があり立坑が海底へと伸びているからあの人は工事関係者だったのだろうか。前代未聞の大工事だから人に言いたくなるのも無理はなかろう。

あれからしばらく渡道していない。連絡船は計2往復したがトンネルはまだ未体験だ。
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乗り潰しマイルール [旅行]

特に公式なルールといったものはない。昼でも夜でもどんな列車でも兎に角通過すれば良いとする人もいるし、両窓の景色を見なければならないとする人もいる。また駅の乗降についても記録をとる人もいる。

マイルールは夜明けから日暮れまで景色の見える時間帯の普通列車で車窓、駅の佇まいを観察する。基本的に全駅停車を旨とするが、仮乗降場、臨時駅、特定時間帯のみ停車の駅は含めない。いずれこれらの駅へも行ってみたい。新幹線も同様で「こだま」等の各駅タイプに乗った区間は完乗。

東海道線の場合、東京-横浜間は「京浜東北」、京都-神戸間は「普通」が各駅に停まる。快速は制度上普通列車ではあるが通過駅があるからダメ。ということで兎に角時間が掛かる。

現在JR(国鉄)線は3/4程乗った。私鉄はまだ2割位だろうか。もう長らく休止状態となってはいるが諦めた訳ではなく、そのうち再開し全線走破を目指したい。
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乗り鉄のバイブル [旅行]

時刻表2万キロ、宮脇俊三著。
もう30年以上前の話だが当時この本に感化された若者が大勢旅に出た。丁度国鉄赤字線廃止の嵐が吹き荒れた頃と重なる。廃止間近ともなると大瀬のマニアが押しかけて都会の通勤ラッシュ並みの混雑ぶりだった。

当時、乗り潰しをしている人が何人かいて、目出度く全線完乗した人はまだ数人だった。これはTVの好餌となった。鉄オタという言葉はまだなかったし、乗り鉄、撮り鉄などと唱える分類学者もいなかったから今より行動しやすかった。

まだ新幹線網も今ほど充実しておらず在来線の旅が存分に楽しめる時代で時間は掛かるけれどもその分長く楽しめた。時刻表を駆使して時にはまるでアクロバットのような旅程を組み実践してみるのが面白かった。

観光地には一切目もくれずにただひたすらローカル線を辿る。実際に現地に立つと誌面からは分からない地方の実情なども垣間見え社会科の勉強の様だったし興味深い発見も多々あった。そこには本物の旅があったように思う。
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都電とシマリス [鉄道一般]

むか~~し昔、まだ都電が都内を縦横に走っていた頃。電車の車内で隣に座っていた爺様の手元で小さなものが蠢いてた。良く見るとそれはシマリスで繋がれているわけでもないがどこかへ逃げる様子もなく主の与えるクルミの実を食べていた。その愛くるしさよりも何とも場違いなことがとても印象に残っている。

その電車は動坂かあるいは団子坂だったか、その辺りを走っていたから多分20系統だったように思う。現在不忍通りと呼ばれる通りだ。都内で一番多くの系統が通る須田町から文京区の端の江戸川橋まで半円を描くように結ぶ系統でラッシュ時間帯には護国寺から池袋へ直通する臨時便もあった。さらに昔は江戸川橋から一つ先の矢来下まで行っていたが早々に廃止になったと聞く。

電車は専用軌道で上野動物園の中を通り、上を現在休止中のモノレールが跨ぐという面白い場所を通る。都電廃止後軌道跡は道路に転用され動物園通りとなった。だいぶ以前にここを歩いたことがある。どこからとなく獣の臭いが漂ってきた。

さて、あの爺様とシマリスがどこで降りたかは忘れてしまった。恐らくもう御存命ではあるまい。どこの誰かは知らないが半世紀以上経った今もその残像が脳裏に焼き付いている。

(写真はイメージです。当時はすでに山吹色に赤帯の塗装で乗ったのも古いタイプの電車だったから6000形かな?なお7055は新製配置時から荒川車庫所属。)
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渋谷駅と山手貨物の話 [駅]

埼京線ホーム並列化も今月末に二日間運休しての工事で完成ですね。不便だった乗り換えもぐんと利便性が良くなりそう。山手貨物線が旅客化され駅外れの貨物駅跡地にホームが建設された時はあまりの遠さに唖然としたものだ。

あそこに貨物駅があったのも遠い昔の話、屋根付きの貨物ホームがあって貨車がひっきりなしに出入りし貨物列車も多数運転されていたなァ。渋谷駅構内でタンク貨車が脱線したこともあった。昭和の中頃、茶色い機関車に黒い貨車の時代。それを記憶しているのは老人ばかりか!。

渋谷に限らず山手線には貨物を取り扱っている駅が沢山あり、巣鴨、大塚、池袋、目白、新宿、渋谷、恵比寿(ビール工場)、大崎と、案外小さな駅でも貨物を扱っていて、日通のマークを付けた黄色いチビロコが貨車の入れ替え作業に従事。一つ目小僧もいたが、さすがに進駐軍が持ってきた機関車はもういなかった。

渋谷なんて谷底のドブ臭いイマイチ冴えない場末の盛り場といった所だったのが、今のような若者の町になるなんて誰が想像できただろうか。
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練馬の館 [探索]

むか~し、もうウン十年もむか~しの話。
所要があって練馬の奥の方へ出掛けたことがあった。どこだったか西武線の小さな駅で降りてから随分と歩き回った挙句、とうとう道に迷ってしまった。

東京の23区内といえどもこの辺りまで来ると郊外といった趣でかつての大根畑がそのまま住宅地に変わったようなところだから道もうねうねと農道そのままで、番地も飛び飛びで規則性というものが全く無視されていて、今いる場所がどこかすら見当もつかない。

散々歩いて草臥れ果てたころ、洋館という形容がぴったりの一軒の豪邸の前に辿り着いた。立派な門柱がでんと構え辺りを威圧し雑木林に囲まれた建物は瀟洒な佇まいで一際目立っていたので思わず見上げてしまう。

昼過ぎに歩きはじめたものの日は傾き既に夕暮れ近く、アンバー一色が支配する晩秋の風景と相まって竹箒のような欅の梢が頗る寂しげでとても印象的だった。
気を取り直して一歩踏み出すと門柱の表札が目に入った。

そこには「手塚治虫」とあった。
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