矢岳真幸のブログ
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/
矢岳真幸のブログです。
矢岳真幸
2022-07-04T03:10:07+09:00
ja
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ローマの鉄仮面
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2022-07-04-1
今月投入された高山線特急車HC85系だけど・・・あだ名付けたよ。「ローマの鉄仮面」ローマ時代の戦士が被っていたやつ。個人的な趣味で申し訳ないがあまり好きになれないな。最近の鉄道車両やクルマのデザインって厳ついのが流行りなんだろうか。昔は個性的でも柔和でスマートなものが多かったように思う。
鉄道一般
矢岳真幸
2022-07-04T03:10:07+09:00
「ローマの鉄仮面」
ローマ時代の戦士が被っていたやつ。個人的な趣味で申し訳ないがあまり好きになれないな。最近の鉄道車両やクルマのデザインって厳ついのが流行りなんだろうか。昔は個性的でも柔和でスマートなものが多かったように思う。
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最近ちょっと驚いたこと
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2022-07-04
非電化の高山線に今月投入された新型特急車が「電車」だった!HC85系はハイブリッド気動車と案内されているようだが形式記号は「キ」ではなくて「モ」なので電車なのではと思うが、電車の概念も時代とともに変化するということか。同様なシステムの車両は70年程前に千葉と北九州に少数が投入されたが、あまりの非力さからか技術的成熟をみないままその後沙汰やみになった。当時は電気式気動車と呼ばれ、まだハイブリッドという言葉はなかった。西九州新幹線開業後のJR在来線長崎駅から「電車」が消滅。長崎本線肥前浜駅以南の電化設備は撤去され、全列車ディーゼルカーに置き換え。コスパの問題とは言え時代が逆向しているようだ。これで長崎市を走る電車は長崎電軌だけとなる。
鉄道一般
矢岳真幸
2022-07-04T02:57:07+09:00
HC85系はハイブリッド気動車と案内されているようだが形式記号は「キ」ではなくて「モ」なので電車なのではと思うが、電車の概念も時代とともに変化するということか。
同様なシステムの車両は70年程前に千葉と北九州に少数が投入されたが、あまりの非力さからか技術的成熟をみないままその後沙汰やみになった。当時は電気式気動車と呼ばれ、まだハイブリッドという言葉はなかった。
西九州新幹線開業後のJR在来線長崎駅から「電車」が消滅。長崎本線肥前浜駅以南の電化設備は撤去され、全列車ディーゼルカーに置き換え。コスパの問題とは言え時代が逆向しているようだ。これで長崎市を走る電車は長崎電軌だけとなる。
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西武多摩湖線この一年の動向
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2021-01-22
画像は八国山を背景に走る多摩湖線の列車で4扉車(9000系)。同線へは昨年から今年にかけて同型が3編成配属された。4扉車に統一後、国分寺駅にホームドアが設置されるそうだ。さて従来の3扉車(N101系)は同時期に2編成が廃車され、1262(伊豆箱根塗装)が西武ドーム近くで静態保存された。同系はこれで残り8編成となった。戦後75年に亘り続いてきた伝統の3扉車の残党も数を減らし終焉の時が迫っているようで最後は離れ小島の多摩川線に集結することになるのだろう。あの額縁鉄仮面はどうも好きになれないが・・・思えば多摩湖線は多摩湖鉄道として開業当初から中古車、京王の単車や西武軌道(後の都電杉並線15系統)の木造車を導入し、以来現在に至るまで新宿線からの直通を除いて新車が入ったことは一度もないという全く日の当たらない路線で、今後も余程のことがない限り現役末期の老朽車があてがわれるものと推察される。
大手民鉄
矢岳真幸
2021-01-22T02:20:10+09:00
さて従来の3扉車(N101系)は同時期に2編成が廃車され、1262(伊豆箱根塗装)が西武ドーム近くで静態保存された。同系はこれで残り8編成となった。戦後75年に亘り続いてきた伝統の3扉車の残党も数を減らし終焉の時が迫っているようで最後は離れ小島の多摩川線に集結することになるのだろう。あの額縁鉄仮面はどうも好きになれないが・・・
思えば多摩湖線は多摩湖鉄道として開業当初から中古車、京王の単車や西武軌道(後の都電杉並線15系統)の木造車を導入し、以来現在に至るまで新宿線からの直通を除いて新車が入ったことは一度もないという全く日の当たらない路線で、今後も余程のことがない限り現役末期の老朽車があてがわれるものと推察される。
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鉄道代行バスとキツネ、廃墟そして・・・
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-09-19
時は1980年代中頃、国鉄ローカル線廃止の嵐が吹き荒れた時代。そんなある年の10月、北海道へ渡った。勿論廃止予定線を乗り潰すのが目的でこの時は廃止間近の白糠線が主目的だった。他にも多数の線区を巡ったが、その中の一つ士幌線(帯広-十勝三股間、1987年3月廃止)へ行った時の事。帯広から朝一番の士幌線列車に乗る。途中糠平から先は既に休止中で代行バスに揺られる。それは小型のマイクロバスで、乗客は大阪の会社員のオッサン、奈良の学生、それと僕の3人だった。全員が乗り鉄!周遊券の客。後に知った事だが当時十勝三股の居住世帯は1戸で、そのためのバスだとの事。その唯一の住人がこのバス運転手の家族だというから驚いた。道理で物見遊山の客しかいない筈だ。糠平湖を後にバスは山道を走る。暫く走った所で急停車。ふと見ると道端にキタキツネが一匹。眼光鋭く体は薄汚れ痩せ細っていたが、そこに本物の野生を見た。刹那運転手が餌の入った袋を投げる。キツネはそれを咥えると一目散に林の中へと消えた。ほんの瞬時の出来事だった。運転手氏の話によると、件のキツネはこのバスが通ると姿を見せ、他のクルマの時には現れないという。廃墟と化した途中駅に寄りながら終点を目指す。終点の十勝三股も既に廃墟で半ば自然に同化し、朽ちかけた給水塔が錆びた躯体を晒していた。その奥に見えた雪を頂く裏大雪の山々が妙に清々しかった。この話には後日談がある。その翌年、今度は福岡県の甘木線(基山-甘木間、現甘木鉄道【第三セクター】)へ行った時に車内で見覚えのある顔に出会った。それがなんと士幌線代行バスに乗り合わせた奈良の学生だった。こちらから声を掛けたが彼は怪訝な顔をするが暫くすると思い出してくれた。日本の北端と南端で偶然出会うとは何とも奇遇ではある。
旅行
矢岳真幸
2020-09-19T00:32:01+09:00
帯広から朝一番の士幌線列車に乗る。途中糠平から先は既に休止中で代行バスに揺られる。それは小型のマイクロバスで、乗客は大阪の会社員のオッサン、奈良の学生、それと僕の3人だった。全員が乗り鉄!周遊券の客。
後に知った事だが当時十勝三股の居住世帯は1戸で、そのためのバスだとの事。その唯一の住人がこのバス運転手の家族だというから驚いた。道理で物見遊山の客しかいない筈だ。
糠平湖を後にバスは山道を走る。暫く走った所で急停車。ふと見ると道端にキタキツネが一匹。眼光鋭く体は薄汚れ痩せ細っていたが、そこに本物の野生を見た。刹那運転手が餌の入った袋を投げる。キツネはそれを咥えると一目散に林の中へと消えた。ほんの瞬時の出来事だった。
運転手氏の話によると、件のキツネはこのバスが通ると姿を見せ、他のクルマの時には現れないという。
廃墟と化した途中駅に寄りながら終点を目指す。終点の十勝三股も既に廃墟で半ば自然に同化し、朽ちかけた給水塔が錆びた躯体を晒していた。その奥に見えた雪を頂く裏大雪の山々が妙に清々しかった。
この話には後日談がある。
その翌年、今度は福岡県の甘木線(基山-甘木間、現甘木鉄道【第三セクター】)へ行った時に車内で見覚えのある顔に出会った。それがなんと士幌線代行バスに乗り合わせた奈良の学生だった。こちらから声を掛けたが彼は怪訝な顔をするが暫くすると思い出してくれた。
日本の北端と南端で偶然出会うとは何とも奇遇ではある。
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渋谷の宮下公園
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-08-16-1
渋谷川の暗渠上に作られたウナギの寝床のような公園で、ホームレスが屯し夜などほとんど人通りがなく、あまり近づきたくない場所だった。ハッキリ言って公園とは名ばかりの小汚いスペースだった。ところがどうだろう。渋谷駅周辺の再開発で高級ブランド店などが入る建物が出来その屋上が公園になった。一応、区の管理する公園という名目らしいが、その実態はショッピングモールだ。渋谷駅周辺は渋谷川と宇田川の合流地点にあり、地下鉄の上を渋谷川が流れていて一部地下道の天井が低くなっている。センター街は宇田川の暗渠なのでいつもドブ臭く、あまり環境の良い場所とは言えないが東急の力で若者の街に変身した。その勢いが駅の端の公園にまで及んだという事か。東横線が地下に潜っても駅南側の渋谷川が流れている場所は今でもスラムの雰囲気が漂う。このところの再開発で変貌を遂げる渋谷だが永久にドブの臭いが消えることはあるまい。
探索
矢岳真幸
2020-08-16T23:42:47+09:00
ところがどうだろう。渋谷駅周辺の再開発で高級ブランド店などが入る建物が出来その屋上が公園になった。一応、区の管理する公園という名目らしいが、その実態はショッピングモールだ。
渋谷駅周辺は渋谷川と宇田川の合流地点にあり、地下鉄の上を渋谷川が流れていて一部地下道の天井が低くなっている。センター街は宇田川の暗渠なのでいつもドブ臭く、あまり環境の良い場所とは言えないが東急の力で若者の街に変身した。その勢いが駅の端の公園にまで及んだという事か。
東横線が地下に潜っても駅南側の渋谷川が流れている場所は今でもスラムの雰囲気が漂う。このところの再開発で変貌を遂げる渋谷だが永久にドブの臭いが消えることはあるまい。
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観光地
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-08-16
どの地方へ行っても観光地は総じて同じで面白くない。土産物屋や原宿まがいの洒落た造りの店が軒を連ね、画一的な歓楽街と化しているのだ。なので基本的にそうした所へは行かない。ある時、乗り潰し旅の途中の稚内で時間が空いたので試しに「定期観光バス」なるものに乗ってみたことがある。2時間くらいかけて一通りの有名スポットを巡る。そのひとつに水族館があって、バス車内でオプションの入場券を売る。ところがそこでの滞在時間は15分だと言うではないか。たったこれだけの時間で何処をどう見ろというのか。全く人を馬鹿にしている。当然スルー。このあたり欧州を東から西まで二泊四日!で駆け巡るようなパック旅行と共通点があるように思う。これでは何処に何があるのかを只確認するに過ぎないではないか。観光とはこんなに慌ただしいものなのか。以来この手のバスには一切乗らないことにしたし、観光地に足を向ける気もなくなった。
旅行
矢岳真幸
2020-08-16T00:21:00+09:00
ある時、乗り潰し旅の途中の稚内で時間が空いたので試しに「定期観光バス」なるものに乗ってみたことがある。2時間くらいかけて一通りの有名スポットを巡る。そのひとつに水族館があって、バス車内でオプションの入場券を売る。
ところがそこでの滞在時間は15分だと言うではないか。たったこれだけの時間で何処をどう見ろというのか。全く人を馬鹿にしている。当然スルー。このあたり欧州を東から西まで二泊四日!で駆け巡るようなパック旅行と共通点があるように思う。
これでは何処に何があるのかを只確認するに過ぎないではないか。観光とはこんなに慌ただしいものなのか。以来この手のバスには一切乗らないことにしたし、観光地に足を向ける気もなくなった。
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鈍行列車の楽しみ
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-08-15
乗り潰しの旅では普通列車にばかり乗るが面白いことも多々ある。まだ青函トンネル開通以前、北海道の江差線(木古内-松前間50.8km、1988/2/1廃止)に乗った時のこと。あれは渡島吉岡付近だっただろうか。車窓をぼんやりと眺めていると知らないおっさんが声をかけてきた。余所者がカメラ下げて独りでローカル線に乗っていれば場違いで浮いて見えるから明らかに乗り鉄旅と判る。「兄ちゃん、あれが青函トンネルを掘った土だよ」と指差して教えてくれた。そこは山の中だったが線路から少し離れた場所にかなり大きなズリ山があった。長いトンネルを掘ればそれなりの分量の土が出る。多分言われなければ気付かなかっただろう。おかげで良い事を知った。吉岡にはトンネル工事の基地があり立坑が海底へと伸びているからあの人は工事関係者だったのだろうか。前代未聞の大工事だから人に言いたくなるのも無理はなかろう。あれからしばらく渡道していない。連絡船は計2往復したがトンネルはまだ未体験だ。
旅行
矢岳真幸
2020-08-15T00:47:21+09:00
あれは渡島吉岡付近だっただろうか。車窓をぼんやりと眺めていると知らないおっさんが声をかけてきた。余所者がカメラ下げて独りでローカル線に乗っていれば場違いで浮いて見えるから明らかに乗り鉄旅と判る。
「兄ちゃん、あれが青函トンネルを掘った土だよ」
と指差して教えてくれた。そこは山の中だったが線路から少し離れた場所にかなり大きなズリ山があった。長いトンネルを掘ればそれなりの分量の土が出る。多分言われなければ気付かなかっただろう。おかげで良い事を知った。
吉岡にはトンネル工事の基地があり立坑が海底へと伸びているからあの人は工事関係者だったのだろうか。前代未聞の大工事だから人に言いたくなるのも無理はなかろう。
あれからしばらく渡道していない。連絡船は計2往復したがトンネルはまだ未体験だ。
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乗り潰しマイルール
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-08-13-1
特に公式なルールといったものはない。昼でも夜でもどんな列車でも兎に角通過すれば良いとする人もいるし、両窓の景色を見なければならないとする人もいる。また駅の乗降についても記録をとる人もいる。マイルールは夜明けから日暮れまで景色の見える時間帯の普通列車で車窓、駅の佇まいを観察する。基本的に全駅停車を旨とするが、仮乗降場、臨時駅、特定時間帯のみ停車の駅は含めない。いずれこれらの駅へも行ってみたい。新幹線も同様で「こだま」等の各駅タイプに乗った区間は完乗。東海道線の場合、東京-横浜間は「京浜東北」、京都-神戸間は「普通」が各駅に停まる。快速は制度上普通列車ではあるが通過駅があるからダメ。ということで兎に角時間が掛かる。現在JR(国鉄)線は3/4程乗った。私鉄はまだ2割位だろうか。もう長らく休止状態となってはいるが諦めた訳ではなく、そのうち再開し全線走破を目指したい。
旅行
矢岳真幸
2020-08-13T23:58:49+09:00
マイルールは夜明けから日暮れまで景色の見える時間帯の普通列車で車窓、駅の佇まいを観察する。基本的に全駅停車を旨とするが、仮乗降場、臨時駅、特定時間帯のみ停車の駅は含めない。いずれこれらの駅へも行ってみたい。新幹線も同様で「こだま」等の各駅タイプに乗った区間は完乗。
東海道線の場合、東京-横浜間は「京浜東北」、京都-神戸間は「普通」が各駅に停まる。快速は制度上普通列車ではあるが通過駅があるからダメ。ということで兎に角時間が掛かる。
現在JR(国鉄)線は3/4程乗った。私鉄はまだ2割位だろうか。もう長らく休止状態となってはいるが諦めた訳ではなく、そのうち再開し全線走破を目指したい。
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乗り鉄のバイブル
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-08-13
時刻表2万キロ、宮脇俊三著。もう30年以上前の話だが当時この本に感化された若者が大勢旅に出た。丁度国鉄赤字線廃止の嵐が吹き荒れた頃と重なる。廃止間近ともなると大瀬のマニアが押しかけて都会の通勤ラッシュ並みの混雑ぶりだった。当時、乗り潰しをしている人が何人かいて、目出度く全線完乗した人はまだ数人だった。これはTVの好餌となった。鉄オタという言葉はまだなかったし、乗り鉄、撮り鉄などと唱える分類学者もいなかったから今より行動しやすかった。まだ新幹線網も今ほど充実しておらず在来線の旅が存分に楽しめる時代で時間は掛かるけれどもその分長く楽しめた。時刻表を駆使して時にはまるでアクロバットのような旅程を組み実践してみるのが面白かった。観光地には一切目もくれずにただひたすらローカル線を辿る。実際に現地に立つと誌面からは分からない地方の実情なども垣間見え社会科の勉強の様だったし興味深い発見も多々あった。そこには本物の旅があったように思う。
旅行
矢岳真幸
2020-08-13T00:02:41+09:00
もう30年以上前の話だが当時この本に感化された若者が大勢旅に出た。丁度国鉄赤字線廃止の嵐が吹き荒れた頃と重なる。廃止間近ともなると大瀬のマニアが押しかけて都会の通勤ラッシュ並みの混雑ぶりだった。
当時、乗り潰しをしている人が何人かいて、目出度く全線完乗した人はまだ数人だった。これはTVの好餌となった。鉄オタという言葉はまだなかったし、乗り鉄、撮り鉄などと唱える分類学者もいなかったから今より行動しやすかった。
まだ新幹線網も今ほど充実しておらず在来線の旅が存分に楽しめる時代で時間は掛かるけれどもその分長く楽しめた。時刻表を駆使して時にはまるでアクロバットのような旅程を組み実践してみるのが面白かった。
観光地には一切目もくれずにただひたすらローカル線を辿る。実際に現地に立つと誌面からは分からない地方の実情なども垣間見え社会科の勉強の様だったし興味深い発見も多々あった。そこには本物の旅があったように思う。
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都電とシマリス
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-08-04
むか~~し昔、まだ都電が都内を縦横に走っていた頃。電車の車内で隣に座っていた爺様の手元で小さなものが蠢いてた。良く見るとそれはシマリスで繋がれているわけでもないがどこかへ逃げる様子もなく主の与えるクルミの実を食べていた。その愛くるしさよりも何とも場違いなことがとても印象に残っている。その電車は動坂かあるいは団子坂だったか、その辺りを走っていたから多分20系統だったように思う。現在不忍通りと呼ばれる通りだ。都内で一番多くの系統が通る須田町から文京区の端の江戸川橋まで半円を描くように結ぶ系統でラッシュ時間帯には護国寺から池袋へ直通する臨時便もあった。さらに昔は江戸川橋から一つ先の矢来下まで行っていたが早々に廃止になったと聞く。電車は専用軌道で上野動物園の中を通り、上を現在休止中のモノレールが跨ぐという面白い場所を通る。都電廃止後軌道跡は道路に転用され動物園通りとなった。だいぶ以前にここを歩いたことがある。どこからとなく獣の臭いが漂ってきた。さて、あの爺様とシマリスがどこで降りたかは忘れてしまった。恐らくもう御存命ではあるまい。どこの誰かは知らないが半世紀以上経った今もその残像が脳裏に焼き付いている。(写真はイメージです。当時はすでに山吹色に赤帯の塗装で乗ったのも古いタイプの電車だったから6000形かな?なお7055は新製配置時から荒川車庫所属。)
鉄道一般
矢岳真幸
2020-08-04T23:37:32+09:00
その電車は動坂かあるいは団子坂だったか、その辺りを走っていたから多分20系統だったように思う。現在不忍通りと呼ばれる通りだ。都内で一番多くの系統が通る須田町から文京区の端の江戸川橋まで半円を描くように結ぶ系統でラッシュ時間帯には護国寺から池袋へ直通する臨時便もあった。さらに昔は江戸川橋から一つ先の矢来下まで行っていたが早々に廃止になったと聞く。
電車は専用軌道で上野動物園の中を通り、上を現在休止中のモノレールが跨ぐという面白い場所を通る。都電廃止後軌道跡は道路に転用され動物園通りとなった。だいぶ以前にここを歩いたことがある。どこからとなく獣の臭いが漂ってきた。
さて、あの爺様とシマリスがどこで降りたかは忘れてしまった。恐らくもう御存命ではあるまい。どこの誰かは知らないが半世紀以上経った今もその残像が脳裏に焼き付いている。
(写真はイメージです。当時はすでに山吹色に赤帯の塗装で乗ったのも古いタイプの電車だったから6000形かな?なお7055は新製配置時から荒川車庫所属。)
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渋谷駅と山手貨物の話
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-05-25
埼京線ホーム並列化も今月末に二日間運休しての工事で完成ですね。不便だった乗り換えもぐんと利便性が良くなりそう。山手貨物線が旅客化され駅外れの貨物駅跡地にホームが建設された時はあまりの遠さに唖然としたものだ。あそこに貨物駅があったのも遠い昔の話、屋根付きの貨物ホームがあって貨車がひっきりなしに出入りし貨物列車も多数運転されていたなァ。渋谷駅構内でタンク貨車が脱線したこともあった。昭和の中頃、茶色い機関車に黒い貨車の時代。それを記憶しているのは老人ばかりか!。渋谷に限らず山手線には貨物を取り扱っている駅が沢山あり、巣鴨、大塚、池袋、目白、新宿、渋谷、恵比寿(ビール工場)、大崎と、案外小さな駅でも貨物を扱っていて、日通のマークを付けた黄色いチビロコが貨車の入れ替え作業に従事。一つ目小僧もいたが、さすがに進駐軍が持ってきた機関車はもういなかった。渋谷なんて谷底のドブ臭いイマイチ冴えない場末の盛り場といった所だったのが、今のような若者の町になるなんて誰が想像できただろうか。
駅
矢岳真幸
2020-05-25T07:09:01+09:00
あそこに貨物駅があったのも遠い昔の話、屋根付きの貨物ホームがあって貨車がひっきりなしに出入りし貨物列車も多数運転されていたなァ。渋谷駅構内でタンク貨車が脱線したこともあった。昭和の中頃、茶色い機関車に黒い貨車の時代。それを記憶しているのは老人ばかりか!。
渋谷に限らず山手線には貨物を取り扱っている駅が沢山あり、巣鴨、大塚、池袋、目白、新宿、渋谷、恵比寿(ビール工場)、大崎と、案外小さな駅でも貨物を扱っていて、日通のマークを付けた黄色いチビロコが貨車の入れ替え作業に従事。一つ目小僧もいたが、さすがに進駐軍が持ってきた機関車はもういなかった。
渋谷なんて谷底のドブ臭いイマイチ冴えない場末の盛り場といった所だったのが、今のような若者の町になるなんて誰が想像できただろうか。
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練馬の館
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-05-01
むか~し、もうウン十年もむか~しの話。所要があって練馬の奥の方へ出掛けたことがあった。どこだったか西武線の小さな駅で降りてから随分と歩き回った挙句、とうとう道に迷ってしまった。東京の23区内といえどもこの辺りまで来ると郊外といった趣でかつての大根畑がそのまま住宅地に変わったようなところだから道もうねうねと農道そのままで、番地も飛び飛びで規則性というものが全く無視されていて、今いる場所がどこかすら見当もつかない。散々歩いて草臥れ果てたころ、洋館という形容がぴったりの一軒の豪邸の前に辿り着いた。立派な門柱がでんと構え辺りを威圧し雑木林に囲まれた建物は瀟洒な佇まいで一際目立っていたので思わず見上げてしまう。昼過ぎに歩きはじめたものの日は傾き既に夕暮れ近く、アンバー一色が支配する晩秋の風景と相まって竹箒のような欅の梢が頗る寂しげでとても印象的だった。気を取り直して一歩踏み出すと門柱の表札が目に入った。そこには「手塚治虫」とあった。
探索
矢岳真幸
2020-05-01T00:21:13+09:00
所要があって練馬の奥の方へ出掛けたことがあった。どこだったか西武線の小さな駅で降りてから随分と歩き回った挙句、とうとう道に迷ってしまった。
東京の23区内といえどもこの辺りまで来ると郊外といった趣でかつての大根畑がそのまま住宅地に変わったようなところだから道もうねうねと農道そのままで、番地も飛び飛びで規則性というものが全く無視されていて、今いる場所がどこかすら見当もつかない。
散々歩いて草臥れ果てたころ、洋館という形容がぴったりの一軒の豪邸の前に辿り着いた。立派な門柱がでんと構え辺りを威圧し雑木林に囲まれた建物は瀟洒な佇まいで一際目立っていたので思わず見上げてしまう。
昼過ぎに歩きはじめたものの日は傾き既に夕暮れ近く、アンバー一色が支配する晩秋の風景と相まって竹箒のような欅の梢が頗る寂しげでとても印象的だった。
気を取り直して一歩踏み出すと門柱の表札が目に入った。
そこには「手塚治虫」とあった。
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要塞と呼ばれる駅
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-01-28-1
都市部の分岐駅で高架2層構造のものをマニアは「要塞」と呼ぶ。青砥要塞、太田川要塞、蒲田要塞・・・確かに要塞と呼ぶに相応しい威容を誇る。さらに現在淡路要塞が築城中でこれはおおさか東線、東海道新幹線を高高架で跨ぐという大規模なもの。太閤秀吉もビックリだ。2008年着工、完成は2028年予定で建設期間もこれまた長い。小田急の高架複々線事業は計画から50年、着工から30年かかったから、ローマは一日にして成らずか。ところで、東京都心には戦前から存在する「要塞」がある。2層のホームでそれぞれ対面乗換ができる東京メトロの赤坂見附駅だ。これは地下要塞と言うべきか。
鉄道一般
矢岳真幸
2020-01-28T22:26:15+09:00
小田急の高架複々線事業は計画から50年、着工から30年かかったから、ローマは一日にして成らずか。
ところで、東京都心には戦前から存在する「要塞」がある。2層のホームでそれぞれ対面乗換ができる東京メトロの赤坂見附駅だ。これは地下要塞と言うべきか。
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中小私鉄売上高は、遠鉄、静鉄がトップ2!
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-01-28
北海道と四国を除くJRや大手私鉄には遠く及ばないものの静岡勢がワンツーフィニッシュなのは意外だ。両社とも主な収入源はトヨタのディーラーで、鉄道事業は売上高全体の1%に満たない数字だ。鉄道会社がライバルである筈のクルマを売って稼いでいるところが面白い。両鉄道に共通することは、これといった観光地もない都市間輸送。インフラを充実させた高頻度運転。中古車が一両もない等で、静鉄には先日も新車が4両入り、今後4年程で全車新車に置き替わる。儲からない鉄道事業などさっさとやめれば良さそうだが、そうしないのはネームバリューがあるからで鉄道会社と聞けば誰しも優良企業と思うだろうし、それなりの信用も得られるだろう。磐梯急行電鉄や紀州鉄道はこれに目を付けたものだが両社の成立過程はどこか胡散臭いところがあって非常に興味深い。貨物主体の硫黄鉱山のトロッコ鉄道が「急行電鉄」とは恐れ入る。詳細はWikiを参照されたい。
ローカル
矢岳真幸
2020-01-28T00:10:26+09:00
両鉄道に共通することは、これといった観光地もない都市間輸送。インフラを充実させた高頻度運転。中古車が一両もない等で、静鉄には先日も新車が4両入り、今後4年程で全車新車に置き替わる。
儲からない鉄道事業などさっさとやめれば良さそうだが、そうしないのはネームバリューがあるからで鉄道会社と聞けば誰しも優良企業と思うだろうし、それなりの信用も得られるだろう。
磐梯急行電鉄や紀州鉄道はこれに目を付けたものだが両社の成立過程はどこか胡散臭いところがあって非常に興味深い。貨物主体の硫黄鉱山のトロッコ鉄道が「急行電鉄」とは恐れ入る。
詳細はWikiを参照されたい。
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時刻表復刻版1964年9月号
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-01-24
時刻表復刻版1964年9月号今月10日に発売された。密林で1630円。新刊当時150円だったから10倍以上の値になり復刻。前回の東京オリンピック開催の年、東海道新幹線開業ひと月前、東海道の在来線が最も華やかだった時代で、昼行の急行や特急の多数設定され、九州夜行が雁行して夕刻の東京駅を発っていた。
ダイヤ
矢岳真幸
2020-01-24T02:14:13+09:00
今月10日に発売された。密林で1630円。新刊当時150円だったから10倍以上の値になり復刻。
前回の東京オリンピック開催の年、東海道新幹線開業ひと月前、東海道の在来線が最も華やかだった時代で、昼行の急行や特急の多数設定され、九州夜行が雁行して夕刻の東京駅を発っていた。
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山手線231-500も残り1編成
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2020-01-12
それも1月18日限りで山手線からは撤退だそうだ。と言ってもスクラップになるわけではなく千葉の方へ都落ち。黄色い帯を巻いて総武線各停で走るから中央線へもやって来るので都心で(3月ダイヤ改正以降は三鷹まで)見ることができる。ここ何十年か山手線には最新型が投入されるが、昔はそうではなくて最新型はまず中央線に入ったもので、中央線こそが東京の代表格だったのが、いつの頃からか山手線にその座を奪われた。その山手線も旧国電の時代には17m級車を含む雑多な車が使用され東京の中でも今一つ冴えない電車だった。次にゲタ電が入り、新性能車は先ずはカナリア、次にウグイスと次々と鳥の名の色に替わった。国鉄通勤路線は五方面カラー作戦と銘打ち路線別に車体色を変えたのだ。それが路線の色として定着し、現在までウグイスが鳴いている。ところで、山手線の新型車を「電子レンジ」と言うらしい。言い得て妙なアダ名ではある。
JR線
矢岳真幸
2020-01-12T22:55:13+09:00
ここ何十年か山手線には最新型が投入されるが、昔はそうではなくて最新型はまず中央線に入ったもので、中央線こそが東京の代表格だったのが、いつの頃からか山手線にその座を奪われた。
その山手線も旧国電の時代には17m級車を含む雑多な車が使用され東京の中でも今一つ冴えない電車だった。次にゲタ電が入り、新性能車は先ずはカナリア、次にウグイスと次々と鳥の名の色に替わった。国鉄通勤路線は五方面カラー作戦と銘打ち路線別に車体色を変えたのだ。それが路線の色として定着し、現在までウグイスが鳴いている。
ところで、山手線の新型車を「電子レンジ」と言うらしい。言い得て妙なアダ名ではある。
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地下鉄銀座線渋谷駅が正月休み!!
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2019-12-29
銀座線渋谷駅が明治通りの上空に丸ごと引っ越して1月3日から営業とのことで、百年に一度という大事業らしい。旧駅は百貨店の中に駅を設けたので開業当時大層話題になったそうだがそのユニークな駅もついに幕を下ろすこととなった。ところで、この工事期間中浅草から来た電車は溜池山王で折り返してしまう。渋谷までの間でここしか折り返す駅がないのだ。以前の線路切替工事の時もそうだった。唯一孤立してしまう外苑前駅救済のために両隣の表参道と青山一丁目間だけピストン輸送する。複線の両方を使用した双単線方式の運転だが従来の逆方向へはそれぞれ回送となる。片輸送で何とも能率の悪いやり方だが、逆走は保安設備(信号)なしの目視運転だろうから安全上客は乗せないものと推察。さて、銀座線の駅が移動すると、タダでさえ遠い井の頭線の駅は増々孤立して不便になる。再開発で百貨店も建て替えることだし銀座線の旧駅跡地近くに井の頭線の駅を持ってきて便利にして欲しいものだが・・・。何たってココは東急の牙城シブヤだから京王が潜り込むのはとてもじゃないけど無理だろうな~。
大手民鉄
矢岳真幸
2019-12-29T07:43:58+09:00
ところで、この工事期間中浅草から来た電車は溜池山王で折り返してしまう。渋谷までの間でここしか折り返す駅がないのだ。以前の線路切替工事の時もそうだった。
唯一孤立してしまう外苑前駅救済のために両隣の表参道と青山一丁目間だけピストン輸送する。複線の両方を使用した双単線方式の運転だが従来の逆方向へはそれぞれ回送となる。
片輸送で何とも能率の悪いやり方だが、逆走は保安設備(信号)なしの目視運転だろうから安全上客は乗せないものと推察。
さて、銀座線の駅が移動すると、タダでさえ遠い井の頭線の駅は増々孤立して不便になる。再開発で百貨店も建て替えることだし銀座線の旧駅跡地近くに井の頭線の駅を持ってきて便利にして欲しいものだが・・・。
何たってココは東急の牙城シブヤだから京王が潜り込むのはとてもじゃないけど無理だろうな~。
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東海道線の凋落
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2019-02-21
今度、中央東線特急「あずさ」のお下がりが化粧直しをして東海道線「踊り子」で使用される。遡ること半世紀程前、東海道線特急「こだま」のお下がりが中央東線特急「あずさ」として使用された経緯があるだけに感慨深いものがある。それまでの中央東線はどちらかと言えば脇役的存在で優等列車は準急、急行しか設定されていなかったが、複線電化工事も一段落して中古とはいえ特急「あずさ」が設定され漸く幹線らしくなったと感じたものだ。それにしても中央東線に新車が入り、かつての花形東海道線に短距離特急とはいえ中古車があてがわれるとは。新幹線に主役の座を譲った在来線の悲哀がここにある。栄枯盛衰、これも時の流れか。
JR線
矢岳真幸
2019-02-21T03:03:50+09:00
それまでの中央東線はどちらかと言えば脇役的存在で優等列車は準急、急行しか設定されていなかったが、複線電化工事も一段落して中古とはいえ特急「あずさ」が設定され漸く幹線らしくなったと感じたものだ。
それにしても中央東線に新車が入り、かつての花形東海道線に短距離特急とはいえ中古車があてがわれるとは。新幹線に主役の座を譲った在来線の悲哀がここにある。栄枯盛衰、これも時の流れか。
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朝の京王ライナー
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2019-02-19
2月22日のダイヤ改正で、今までは夕方ラッシュ時に設定されていた「座って行ける列車」が朝にも設定される。京王線、相模原線から、それぞれ2本ずつだが、さすがに平日朝ピーク時には入れられず、新宿着は7時前と9時過ぎになる。都市圏はどこの線も朝7時8時台は並行ダイヤだから、特急に乗っても各停の後を終点までノロノロとくっついて行くだけで優等列車も普通列車も所要時間は大差なく、この列車は「速達&着席」が売りだろうからピーク時を外すのは仕方あるまい。ともあれ片道400円、往復で800円の料金を奮発すれば朝夕とも座って行ける。安月給の身にはちと痛いか。さて商売敵の小田急も3月にダイヤ改正があるが多摩線についてはさしたる動きもなさそうで、ニュータウンの客については完全にギブアップしたように見える。
ダイヤ
矢岳真幸
2019-02-19T21:57:12+09:00
都市圏はどこの線も朝7時8時台は並行ダイヤだから、特急に乗っても各停の後を終点までノロノロとくっついて行くだけで優等列車も普通列車も所要時間は大差なく、この列車は「速達&着席」が売りだろうからピーク時を外すのは仕方あるまい。
ともあれ片道400円、往復で800円の料金を奮発すれば朝夕とも座って行ける。安月給の身にはちと痛いか。
さて商売敵の小田急も3月にダイヤ改正があるが多摩線についてはさしたる動きもなさそうで、ニュータウンの客については完全にギブアップしたように見える。
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変わりゆく都心部の駅
https://yatakemasaki.blog.ss-blog.jp/2018-12-09
東京オリンピック開催を契機に今、山手線の渋谷駅、高輪ゲートウェイ駅の工事が急ピッチで進んでいるが、この他にも都心部の駅ではいくつか改良工事が進行中だ。まずは原宿駅、正月の多客時のみ使用だった臨時ホームを改装して外回り専用ホームとする。隣りの渋谷駅と同様なホーム配置となる。もうだいぶ以前から表参道や竹下通りが観光地化し休日は大混雑だったから、何故臨時ホームを活用しないのかと疑問を感じていたが漸く動き始めた。千駄ヶ谷駅臨時ホームの復活。前回のオリンピックの時に造られ、そのホーム跡が長期間野晒にされていたものが改装される。一部の基礎部分は昔のものを使用するとのことで今度は下り線専用の常時使用となる。打ち捨てられた廃墟は半世紀以上もこの日が来るのを待っていたのだ。飯田橋駅のホームは200メートルほど新宿寄りに移設される。現在のホームはカーブ上にあるため車両とホームの隙間が大きく空いて転落事故が多発、大変危険だった。もうだいぶ長い間使われていなかった下り方の引き上げ線跡に新ホームを建設中。ここは旧牛込駅の跡地で1928(昭和3)年に旧飯田町駅と統合されて飯田橋駅になった経緯があるから90年以上の時を経て元の位置へ戻ることになる。飯田町駅はとうの昔に貨物駅になり今では高層ビルに変わった。御茶ノ水駅も駅舎の大改造中で中央線ホームは延長されて将来の快速電車グリーン車増結時の12両編成対応となる。バリアフリーのエレベーターは来年1月より供用開始とのこと。東西が人工地盤で結ばれて白亜の殿堂が完成するとこのあたりの景観も様変わりするだろうがそれはあと5年先の話。
駅
矢岳真幸
2018-12-09T05:39:27+09:00
まずは原宿駅、正月の多客時のみ使用だった臨時ホームを改装して外回り専用ホームとする。隣りの渋谷駅と同様なホーム配置となる。もうだいぶ以前から表参道や竹下通りが観光地化し休日は大混雑だったから、何故臨時ホームを活用しないのかと疑問を感じていたが漸く動き始めた。
千駄ヶ谷駅臨時ホームの復活。前回のオリンピックの時に造られ、そのホーム跡が長期間野晒にされていたものが改装される。一部の基礎部分は昔のものを使用するとのことで今度は下り線専用の常時使用となる。打ち捨てられた廃墟は半世紀以上もこの日が来るのを待っていたのだ。
飯田橋駅のホームは200メートルほど新宿寄りに移設される。現在のホームはカーブ上にあるため車両とホームの隙間が大きく空いて転落事故が多発、大変危険だった。もうだいぶ長い間使われていなかった下り方の引き上げ線跡に新ホームを建設中。ここは旧牛込駅の跡地で1928(昭和3)年に旧飯田町駅と統合されて飯田橋駅になった経緯があるから90年以上の時を経て元の位置へ戻ることになる。飯田町駅はとうの昔に貨物駅になり今では高層ビルに変わった。
御茶ノ水駅も駅舎の大改造中で中央線ホームは延長されて将来の快速電車グリーン車増結時の12両編成対応となる。バリアフリーのエレベーターは来年1月より供用開始とのこと。東西が人工地盤で結ばれて白亜の殿堂が完成するとこのあたりの景観も様変わりするだろうがそれはあと5年先の話。
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