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窪地の探検 [探索]

台地と呼ばれるところにも案外凸凹があって都市化されても元の地形はそのまま残る場合が多いが、国土地理院の2万5千の地図などの場合、住宅街はハッチングで表示され等高線は殆ど表示されず地面の高低差が分からない。

どうしても地面の凸凹が知りたいと思いネットで見つけたのがカシミール3Dというフリーソフトで、国土地理院の地図の標高データが色によって可視化できる。尺度も変えられ、通常の地図とレイヤーで合成し、その明度比率も調整できるちょっとしたグラフィックソフトなのだ。

さて、ここからが本題。
この地図を眺めていて面白いものを見つけた。川もないのにクレーターの様に窪んだ地形があるではないか。こういう場所をスリバチというらしく、スリバチ学会なる趣味団体も存在する。
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作成した画像、中央の窪んだところが平安窪

小平市は武蔵野台地にあり付近にはこうした窪地がいくつか点在するが、その中でも規模の大きい平安窪というところへ行ってみた。小平市役所の裏手のあたりで一橋学園駅の商店街を北へ進むと下り坂があってその底が平安窪だ。周囲との高低差は3メートルくらいだろうか家の二階ほどある。近くには平安窪通りという通りまであるから面白い。
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平安窪底部から見た坂道

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平安窪通りの標識

すぐ脇を西武多摩湖線が通るが、国分寺から北へ直線的に進んできた線路が一橋学園駅の少し先で不自然に左へカーブしている。線路の設計者が平安窪を避けたのだ。これは地図で見ると良く分かって興味深い。

こうした窪地は地下水脈の出口で大雨が降ると翌日あたりには水溜りとなり、その後何日も水が引かないこともあったそうだが、これは昔の話で現在は下水道が整備されたのでそのようなことはないそうだ。実際その場所へ行ってみると晴れた日でも何となく湿り気や水の匂いを感じることがあるのは気のせいでもあるまい。

平安窪から流れ出る川はないが、ここからほど近い小平霊園内にある「さいかち窪」は黒目川の水源、そのすぐ近くの「オオカミ窪」は出水川の水源でいずれも荒川へ注ぐ。
「オオカミ窪」は昭和初期、西武線開通時に線路を築堤で横切る構造にしたため水脈を堰き止めてしまい雨が降る度に水が出て大変だったという。しかもそこは西武鉄道が開発した分譲住宅地だというから皮肉なものだ。後に築堤にトンネルが掘られて水の出口が出来、戦後下水道が整備されて漸く水問題は解消したという。
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西武線の築堤、トンネルの向こうがオオカミ窪、手前側、ここから出水川の暗渠が続く。
左は小平霊園の裏口、右へ行くと久米川駅

東京の都心部にもいくつもの窪地があるが、その底には神社があったり、墓地だったりする。あまり良い場所ではないことは確かだ。以前その墓地のある底地で道に迷ったことがある。そうした場所の周囲は再開発で高層ビルが林立し底地との高低差を余計に強調し殊更陰鬱な場所にしている。
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小平市の二つの廃駅 [大手民鉄]

新宿から西武線で30分程乗ると小平という町に着く。
かつてこの地には現在の小平駅を挟んで西と東に本小平(もとこだいら)駅と東小平駅という二つの駅があった。

●本小平駅は多摩湖鉄道の萩山駅から分岐する支線の終端として開業し、現在の小平駅下り方すぐ隣りに設置された。西武線とは踏切のある道路を隔てて徒歩連絡で、両社の確執があってこのような形になったという。
その場所は現在の小平1号踏切と小平2号踏切の間と推測されるがその痕跡は全くない。現在の拝島線の線路のある辺りだろうか。google mapで検索すると「本小平駅跡」の表示が出る。

後に多摩湖鉄道は現在の西武鉄道に吸収されて小平駅も一つに纏まり乗り換えも便利になったが、一支線に過ぎなかった小平へのヒゲ線は拝島線の開業に伴いその一部に組み込まれて大きく変貌を遂げ、分岐点であった萩山駅の位置も分岐方向も変わり名物だったデルタ線も消滅した。

本小平駅:1928(昭和3)年開設、1949(昭和24)年、現小平駅と統合。

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奥が現小平駅と小平1号踏切、右2本が拝島線の線路。:小平2号踏切より撮影

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現在の保線区の場所が旧萩山駅跡。左へカーブすると現萩山駅で正面奥に拝島線の線路、かつては右方へ本小平への線路が伸び一時期デルタ線を形成していた。


●東小平駅は旧西武鉄道時代の西武線と青梅街道の交点付近に設置された駅で公立昭和病院への通院患者の利便を図ったものだ。また戦後の一時期、かの有名な「黄金列車」の取り扱い駅の一つでもあり積み荷!の貯留槽もあったそうだが貨物列車廃止後約1年半で廃駅となった。

余談ながらここは西武線随一の隘路で青梅街道の踏切が鋭角に交わるのを緩和するためにその前後区間が半径300メートルのS字カーブになっていて列車は時速50キロ制限を受ける。折角花小金井から快調に飛ばしてきたのに、あと少しで小平というところで減速を強いられるのだから恨めしい。

東小平駅:1940(昭和15)年開設、1954(昭和29)年廃止。

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草生している所がかつての東小平駅跡。貨物駅も併設され「黄金」が溜め込まれていたという。:青梅街道の踏切より下り方を望む

両駅とも短命に終わった不運な駅だった。時代の変遷とともに駅の改廃は多々あるが、廃止後それ程経たぬうちに武蔵野線新小平駅が誕生した。東京西郊の小さな町、小平は余程駅に縁のある場所なのだろうか。
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